麴町箚記

きわめて恣意的な襍文

貴翰拝誦:第3回 <文藝擂賽>

 

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ღ 出場作

「ロボとねずみ氏」紙文氏

 

<六枚道場>がおわってから先月までSNSを利用しなかったが、かぐやというコンテストで吉美駿一郎氏がそのあいだに受賞していたり佐渡しおふき… じゃなくて阿波しらさぎで宮月中氏が新聞賞だったりと朗報がつづいたらしい。ほんらいはそれらも拝誦してうんぬんするべきだが、いかんせんネット上の掌篇にたいする興味はつきた。はたして6枚10枚くらいでなにが書けるんでしょうか眼のみえないわたしにと麻原彰晃っぽく反問したくなる偏見はいやますばかりで、かりに紙文氏が出場するのでなかったら “本家” にこのたびも読者としてコミットしたかどうか? 「紙文(かみかざり)なのだ!」の抱負は、グッド!! 「お前の息の根を止めるために書きました」の星野いのり氏の1文からは文字どおり匕首がぎらつくようだし、「無害に見えるもので戦うのが僕の流儀です」の宮月氏もいかしていた。「雅かつ邪悪に」

 

 しかしA・しかしB・しかしC・しかしDの出場する諸作は、ノヴェルにかぎっていうなら、ノヴェルの質を、このたびは俳句や川柳とのバトルがまともに成立しうる性質のものという1点にしぼりこんで、えらびぬいたのではないかと邪推させられそうなほどで、いのり宗匠や川合氏のお作品が、それだけにことのほか生き生きとしてみえる… いやいや、ちがうのかな? あくまで掌篇(そして韻文)に興味がない市井の眼にはそんなふうに映じるということにすぎないかもしれない。だったら出場作に言及するのも無意味/無礼きわまるではないかの結語にいたる。もうしわけない、これが感想だ。

 

「ロボとねずみ氏」にかぎって言及するが、<六枚道場>で紙文作品になじんでいた読者のひとりとしてみたら、う~ん、そうか… つづく1語がおもいうかばない。べつのひとが書いたもののようだ。まっとうだ。すなおだ。ひっかかるところがなく、するりとしている。たちどまって、いかがわしくなったり、まえのページにさかのぼらざるをえなかったりという読者がいつものプロセスに時間をうばわれることもない。だから勝ちぬいて、つぎをよませてもらいたい。はずみをつけて、あと2作… なお宮月氏の雅悪派では、イグ出品作のかたりくちがかなり気にいって、ざぶとん3枚とわたくしも読後にひとりごちていた。

 

 

 

 

 

ღ 応募作

「つめたき天涯がおれをみる、みつづける」ハギワラシンジ氏

 

 ことしも独善的偏見で、ハギワラ氏の作品がいちばんだとおもった。おもったというのは客観的でなさすぎるうえに、フェアでもない。なぜなら今回はほかの応募作にほとんど眼をとおしていないからだが、おそらくはそれらの読了後にも感想はかわらないだろうし、「つめたき天涯がおれを…」にうならされる理由もひとえに昨年の感想とかわるものではない。あらたにつけくわえることばもなく、さなきだに今回はますます腕があがって、パワーもすさまじい。なぜ本作がえらばれないのかという疑義をもちだしてみたところで、イヴェントが3年もつづくと、ぼやくことさえ無意味なのは一目瞭然:「なのだ!」のひとことを、ハギワラ氏にあびせるのが手っとりばやい。そんなものなのだ。フィールドがちがうのだ。ぜんぜん土壌がちがう。そういうサークルに応募したのだ。しかし来年もなのだはなのだのままなのかはわからないから、ためしにまた応募してみるのだ。

 

 ものがちがう。フィールドがちがう。なかんずく精神的な土壌がちがう。ハギワラ氏も日々SNSの唾液の河をおよいでわたるのに、おのれの創作の曠野゠白紙の地獄にたちつくしたとたんシャーマンというか全智の聖獣神虫にすがたをかえる。あたたかSNSの日常によごれない同氏のその甲殻文字はえてして神託で、まがまがしい変身がなかば衒学的にもみえてくる… まわりにいるプロもふくめた無数の書き手は、めいめいの日常から隔絶していない。ネットの唾液が、ぬぐいきれていない。というか隔絶をそこまで劇的にみせるつもりはなく、かえって変身のそんな劇性を、オールド・スクールっぽい前述のいわゆるペダンティック臭もかぎとれなくはないものとして忌避しているふしがみられることは、サークルのイヴェントが3年もつづけば気がつく… わたくしからみたらそれでもハギワラ氏の創作は、パワフルで神聖でうつくしいもので、ボーナス・ステージにこんな覚醒した獣神がでてきたら瞬殺されるだろうとあきらめがつく

 

 くりかえしのアドヴァイスになるが、かくなるうえはハギワラ氏が “本家” とおなじ規模のイヴェントなりサークルなりを、みずからの手でつくりあげるよりほかに道はない。サークル内の亡命クーデタ政権でもよい。サークルのはらわたをくいやぶって、サークルのあたたか母胎から覚醒する魔界転生の集団゠略して摩衆:「おれは兄をくい、妹をしゃぶる。姉らしきおとうとよ、喉笛を裂け。あかい、あかい、くえ。ほのぐら、ほのぐらよ」「母になれ」おのれのことばが、ゆくりなくも暗示する闘争の未来:「くっついて、おれはちびからほのぐらを受けとる。ちびはか細い悲鳴を滴らせ、おとうとよ、おれはおまえをねじふせ、母になる…」

 

 けだもの虫けらの聖痕にうめく預言者ランボオのごとき見者のことばの錬金術をくりひろげながら、もっとも有力な手だては、ハギワラ氏自身がもくろむ文字どおり資産運用の錬金術ではないか? われわれのネット上の投稿作品から巨万の富をうみだしてくれる奇術師ともなるなら、おのずとそれは楚漢のごとき講談社白夜書房に比肩しうる趙斉の韓信軍にひとしい出版業界の第3勢力たりうるだろう。ほんとうに富をうみだす/もたらすのではなく、ルメートルがえがいた青年エドゥアールのように戦友゠同志たる無数のわれわれ書き手から、あまい投資口のことばで(なけなしのww)大金をむしりとって、ネット上から揮発する気体詐欺師というのだとしたって痛快!! 『マルドロールの歌』を自費出版するまえのロートレアモン伯爵は、べつの詐欺師的な文学者から、すぐれた詩人どうしでアンソロジーをだしましょう、ただし掲載されるのは選抜された作品だけですよという自尊心をくすぐるコンテスト広告から、だまされるにもほどがある1行いくらの大金をむしりとられた。それで世にでたアンソロジー詩集のタイトルが<たましいの芳香> Les Parfums de l'âme なのだから、おそれいっちゃう… なんのにおいだよ!? けさはNFT談義を拝聴しつつ本稿をつづって、まるきり放送のその要諦がとどかぬあいだに脱稿してしまったが、あゝ文学史上にその類例をみない錬金ファンドの金庫番になりたい… たのむ、おらの作品☟からも大金を!! 「モット金ヲ!!!!」Mehr Geld!!!! りっぱなワインセラーを買って、ブルネッロやジュヴレ゠シャンベルタンでみたすことを夢みる祝日の朝だった。

 

 

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