麴町箚記

きわめて恣意的な襍文

略人疏註 :第11回 <六枚道場>

 

 

 

 

✍ はじめに

 

『ブルグント公女イヴォナ』刊行をもって7、8年におよぶ当方のゴンブロヴィチ欲はほぼコンプされたしだいだが、『結婚』ほどの衝撃はなかったにしろ本戯曲もドリフみたいで大満足:『コスモス』あたりも同版元があらためて刊行してくれないだろうか? 『ウェルギリウスの死』だとかハインリヒ・フォン・クライストの絢爛たる騎士劇だとか図書館のふるい全集の1巻としてしか手にとれない傑作が、ほかにもたくさんあるので、ぜひともよろしくおねがいします。

 

 

 

 

 

 

ღ グループC

「太閤黄金伝」乙野二郎氏

 

『妖説太閤記山田風太郎が関白秀吉を、もっともよく活写しているとおもう。およそ一般的イメージの磊落な “猿” ではなく、ぞっとするほど陰険で邪悪… まずしい百姓あがりではなく、ゆびが6本はえ山窩だったという稗史のささやきにもうなずきたくなるが、わたくしは本能寺(1582年)にもやはり “猿” というかハゲネズミがふかく関与していたのだろうという疑惑をぬぐいきれない。というのも右府信長の最晩年にアヴィス朝ポルトガルはスペイン併合(1580年)で、いったんは亡国。ポルトガルとちがって、スペインが貿易とともに精神のアヘンともいうべきキリスト教によって日本を内面から毒して植民地化しようとする奸計をひめていることに気がついた信長は、だんじて交渉を拒否。ポルトガル人宣教師フロイスは信長が一統後に大艦隊をひきいて中国大陸の征服にのりだして、むすこたちに領地を分割支配させるつもりだと書翰にしたためたが、じつにこれは信長よりもスペイン&キリスト教の野望… かりに羽柴筑前守秀吉が本能寺の変にかかわって、スペインがこのクーデタのうしろだてになっていたとしたなら、のちに豊臣政権が2度の朝鮮侵寇軍をおこさざるをえなかったのも、むべなるかな… えげつないスペイン&イエズス会の大東亜教化゠属国化計画をみぬいた家康も烱眼だったから、スペインみたく交易と布教とをコミコミ・プランにしないオランダおよびイングランドと手をくんだのだろうし、もののみえない仙台黄門のごとき東北の総会屋と駿府久能山の大御所とではもとより品格がちがう。さらに教皇の植民地になるよりも鎖国はまだしも日本にさいわいしたのかもしれないが、いったん植民地化されて勇猛なる士族がそこから100年間におよぶレジスタンスおよび解放戦争をくりひろげていたとしたら、こんにちのSNSまでもが百姓根性や貧乏くさいポピュリズムから毒された島国とはことなるジパングができあがったかもしれないぞとおもうと、そぞろ血がわいて肉もおどる…

 

 ところで乙野作品でも石田三成(テキストでは光成)関ヶ原の首謀者だったとは明記されていない。じつのところ三成は家康とわりあい連繋しつつ豊太閤なきあとの事後処理をすすめて、おもてだった敵対関係はみえないようだし、「たぬきおやじ」のイメージとはうらはらに家康が実直すぎるほど織豊政権をささえていたふしもみられる気がするが、どさくさまぎれの騒擾をみこんだのは上掲のいなか武将政宗大阪城に陣どって使嗾した安芸中納言輝元のたぐいではなかったか? 「いちゃもんじみたやりとりと、こずるい策謀」がはたして巷談のイメージそのままのものだったのか? ひきつづきスペインが秀頼の代まで大阪城にたたって、キリスト教で日本を毒そうとする野望をすてていなかったとしたら、なんとしても家康はこれを覆滅しなければならなかったはずだと本作をよみながら、しばし島国のこしかたゆくすえを、ネットユーザの農村的ポピュリズムと硬直した政権とでひきさかれそうなコロナ禍の祖国のありようを、かんがえる正月のよすがにもなりました。

 

 

 

ღ グループF

「然り、揺らぎ」Takeman氏

 

  よいタイトル。ドイツ゠オーストリア表現主義的なカンタータのそれのようにも感じられる。はっきりと書かれてはいないが、なかば都市伝説的な古代ユダヤ&伊勢神宮/キリスト&戸来などのニュアンスが感じられたが、「破れ」というテキスト中に散見される表記はこのままでよいのだろうか? もともとの神々の支配圏がやぶられたということか? はたして異星の神とはなにか? 「奇跡」はわたくしが全身にあびている奇蹟とはべつのものか? 「奇跡」がなにひとつとして身におこらないことこそが真の奇蹟:“Kryie eleison” (あわれみたまえ主よ)ではなく、<お許しください>のひとことに “揺らぎ” をみるべきか? いきおいコロナやらワクチンやらともむすびつけて、きりあげようとしながら、ゾロアスター(火祆)教をあがめていた倭国にとっては天孫族も仏教もネストリウス派景教も、もとは異境から飛来して疫病のように伝播したものだったんじゃ? 「玉砂利が敷かれた境内」のように人生をふみしめてきたTakeman氏ご自身を、なかんずく作中にちかごろは実生活のいかなる狂気や懊悩や絶望がひそんでいるかという観点から、ズームするようにもなってきた。

 

 

 

ღ グループA

「迎春奉祝能「清経」」元阿弥

 

「清経」は世阿弥陀仏が複式夢幻能を確立するまえに創作した修羅能。そもそも能と狂言とを総称しての能楽(散楽)だから、ファルス的な要素もぶちこんで、わるいはずがない。こんにち刊行されるスタイルよりも謡曲の原典は、ずっと散文にちかいものにみえる。アルバン・ベルクの3幕15場のオペラにもとづく長篇をおよそ10年のあいだ書きつづけて、ラシーヌや能の劇的小空間にむしろ魅せられるようになった。みやこで隠栖する清経の妻のもとに淡津三郎がとどける遺髪は、スヴェンソンにかえてみた。かみは世阿弥の原典でも宇佐の神で、ありし日のエロティックな閨房のいとなみもイメージさせる髪… ねむったまま妻が耳にすることになる原典のサシシテ:「聖人に夢なし」に照応させるかたちで本作:「死人に口なし」がことあげになるわけだが、「やえのしおじのうらなみ、ここのえに」のここのえは帝都。だんな(落武者)は死後に海(〽やえのしおじのうらのなみ)をわたって奥さんがいる東京にもどってきたことになる。オリジナル落武者の平清経は源氏の追撃におびえて、おびえるあまり正気をたもっていられなくなって、うさ(宇佐)からのがれるべく入水自殺… こじつけにすぎないもののデリヘル愛欲濃厚接触な光(コロナ)源氏からおいつめられて、だんなは縊死しましたといったら、ご愛嬌:「ふぇらちゅ~る」は地謡にて有之候段、だんなが奈落にありつつも仏果をえて昇天するすがたは、まずもってめでたしめでたしの蜻蛉日記の筆者も眉をひそめそうな散楽事(さんがうごと゠ジョーク)でございます。 

 

 

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